以前、医療の世界でいうエビデンス(科学的根拠)について少しこのブログで取り上げましたが今日は以前のブログで取り上げられなかった内容について少し書いていきたいと思います。
前回のブログでのエビデンスについてはこちら「信頼性を求めて:医療情報の信じ方とエビデンスの意義とは?」
統計学は“科学の文法”とも言われるくらいに非常に重要な学問です。
メカニズムの解明も重要です。
しかし、医療の世界ではそういった演繹的推論により導かれた結論が、万が一統計的推論により導かれた推論と対立した際には統計的手法により導かれた結論を優先するということで国際的な合意がなされています。(EBM宣言)
ではなぜメカニズムを論理的に導いた結論よりも、仮にメカニズムがわからなかったとしても統計的手法により導かれた結論を優先することで世界的な合意がなされているのでしょうか。
これは人によっては非常に理解しにくいことかもしれません。
私も文系の人間ですが私のような文系タイプの人にとっては馴染みない問題だと思います。
しかし、歴史を紐解くとその統計的推論の重要性が非常によくわかります。
今日はそんな統計学による推論の重要性についてざっくりですが歴史から紐解いて書いていきたいと思います。
目次
1.実は昔の医療はデタラメで治療によって死者も生み出す始末だった?
皆さんは人類の歴史上で病人を治そうと試みられたのは約何年前だと思いますか?
人類でそうした試みが見られたのは約5000年前からと言われています。
しかし、そんな長い歴史があるのにも関わらず、今から200年ほど前になるまでは治療というものは大概うまくいかなかったようです。
それもそのはずで、200年ほど前まではただのデタラメ治療が非常に多かったのです。
古代まで遡ると当時は「病気は神々の仕業である」といった宗教的な考えが主流でした。
そして、治療師といえばシャーマンや魔術師でありその治療法は祈りや生贄といったものだったようです。
衝撃的ですよね。
しかし紀元前400年になるとそれらに異を唱える人物が現れました。
名前を聞いたことがある人も多いと思いますがギリシャの治療師ヒポクラテスです。
ヒポクラテスは西洋医学の始まりを象徴するような人物ですがそのヒポクラテスの考えというものは、病気は超自然的な概念ではなくフモールと呼ばれる体液のバランスが崩れて起こるものだというものです。
そして有名な治療法として【瀉血(しゃけつ)】というものがありました。
瀉血とは血を抜き取ることで、それを行うことで病気が治ると考えられていました。
これだけ古い時代の考え方から生まれた療法で18世紀に広く受け入れられたものはないのですが、歴史を紐解けばこの瀉血によって多くの犠牲者を生み出すことになりました。
「瀉血によりどんな不調も解決する」といった悪しき風評により実際に死者も出ました。
そうした悲劇に見舞われた有名な人物としてはジョージ・ワシントンが挙げられます。
そうです。
アメリカ初代大統領のあのジョージ・ワシントンです。
ジョージ・ワシントンは大統領を辞任しその2年後に風邪をひき重い喉頭蓋炎になりました。
しかし、あろうことか喉頭蓋炎にもかかわらず呼吸困難で苦しむ彼に提供された治療法は先述した瀉血でした。
当然瀉血で治るはずもありませんが、状態が悪くなる彼にさらなる瀉血(血の抜き取り)を行い続けた結果、全身の血液の約半量を抜き取られてしまいました。
その結果、ショック状態で亡くなりました。
現代では考えられない出来事ですね。
今でこそ自分の体内の血液を半分も抜き取ることが治療になるわけがなく、むしろ命に関わる危険な行為だとわかりますが当時の医学の理論ではそれが正しかったのです。
当時の理論ではそれが有効な治療法であり、論理的に説明できていたのです。(勘違い)
また、それから200年後には中国でも同様の考えを抱く治療師が現れ病気は身体のエネルギーのバランスが崩れるのが原因だと推論しました。
しかし当時は人体の解剖は行っておらず、脊椎や脳といった今日では当たり前の人体の知識もありませんでした。
そんな中で導いた結論は人体にはエネルギーが12の経脈を通っていると信じており、その12という数字の根拠は中国には12の大河があることから導かれました。
なかなかのトンデモ具合ですね(汗)。
言い方は良くないのですが、実は現代の医療はこうしたトンデモ医療の犠牲や反省の上で作られてきました。
もちろん万能ではありませんが、少なくとも間違った論理、過去になればただのデタラメだとわかるような治療を提供しないためにEBMが重視されるようになったのです。
2.先の例のようなトンデモ治療法が誕生する共通項って何?
ここでのポイントですが、これら古代の医学(?)に共通することがあります。
理論をスタートに推論を立て結論を導くといった演繹法のみで行ってしまったことが問題だったのです。
そしてここでは分かりやすく上記のような例を挙げましたが、基本原理の理論の前提が「神々の怒り」であったり、「自国の川の流れとリンクした人体の気の流れ」といったものであり、その前提を疑わず絶対的な真理であるとした上で推論をたててしまえば誤った治療が施されてしまうのは必然であると思います。
医療の世界で主に使用される学問の自然科学は非常に難解でありまだまだ人類が理解することは到底不可能だと言われています。
誤解を恐れずに言えば、医療においては治療の有効性を示すことが最優先とされ、基礎となるメカニズムの解明はのちの研究に委ねれば良いということです。
つまり、論より証拠が何より重要となります。
そしてこのEBM宣言自体が1992年と比較的最近の話であるため、ある医師の話によるとこれ以前に医師や医療従事者として現場につき、知識のアップデートをしていない方はこの決定的に重要な事実を知らない方も多いのが問題としてあげられていました。
そのため私なんかが言うのもおこがましいですが、有名医師が書いた本であるにも関わらず出版されている本の中にとても有害なトンデモ本が存在しうるのはこうした背景もあるようです。
3.EBMの起源的出来事。論より証拠の重要性とは?
初代アンソン男爵、ジョージ・アンソンというイギリス海軍の英雄についてご存知でしょうか。
彼は1712年に海軍に入り、その後1740年から1744年にかけ世界一周の航海を達成し国民的英雄となった人物です。
この世界一周の航海の途中にスペインのガリオン船コバドンガと戦って勝利した結果、130万枚以上のペソ銀貨と約1tの銀塊を手に入れました。
これはイギリスがスペインと戦った10年の間で最も価値ある戦利品でしたが、この代償と引き換えにイギリスは大勢の乗組員を失ってしまいました。
しかし、驚くことにこの死者の中で実はこれら海戦で死んだものはわずか4人だったのに対して、ある病気で亡くなったものは1000人以上と戦が原因で亡くなった数と比べものにならない数が病気で亡くなっていました。
その死因の病気とは、【壊血病】という病気です。
壊血病とはビタミンCの欠乏により引き起こされる病気です。
人の身体はビタミンCを利用しコラーゲンを作り、そのコラーゲンが身体の各組織を結合したり、傷の修復を助けます。
そのためビタミンCが欠乏した壊血病患者を放っておくと徐々に身体が崩れ、痛みを抱えながら死に至ります。
そしてビタミンは私たち人の身体では作ることができないため、食物など外部から補給しなければなりません。
しかし、当時の水夫の食事内容はビスケットや塩漬けの肉、干し魚などでビタミンCを取り入れることができませんでした。
その後も多くの船乗りが壊血病が原因で命を落としました。
そんな危機に対して当時の学者たちは壊血病の原因を探っていましたが難航し、治療法はといえば
- 瀉血
- 首まで砂に埋める
- 重労働を課す
といったお粗末な処置でした。
となると思いますが、その理由はというと当時の常識では「壊血病は怠け者がかかるもの」といった考えがあったのでそのような治療法ができたようです。
常識って怖いですね(泣)
そんな絶望的な状況でしたが1746年にあるひとりの若い医師により劇的な変化を迎えました。
その人物がスコットランド人海軍外科医のジェイムズ・リンドです。
彼の行ったことは実にシンプルです。
それは「水兵ごとに治療法を変えてみる」というものでした。
具体的には壊血病に苦しむ12人の船員を2人ずつの6グループに分類し、それぞれ下記のように別の治療法を用いました。
壊血病の船員に投与したもの |
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1.りんご酸 2.酢酸エリキシル(1日3回のうがい) 3.スプーン2杯の酢(1日3回飲む+酢でうがい) 4.250ccの海水(毎日) 5.2個のオレンジと1個のレモン(毎日) 6.病院の医師から勧められたナツメグ(1日3回) |
このように6種類の治療法を比較した結果どうだったのでしょうか。
結果は⑤が最も顕著に回復し、その後に①が回復に向かいました。
当時の標準治療でもあった②や③には効果は見られませんでした。
当時はビタミンCが同定されてもなければ(同定されたのは1932年)、勿論そもそもビタミンCがコラーゲンを作るための必要成分であることも知りませんでした。
そうです。
そもそも論として、ビタミンという存在が知られていなかったのでそれに伴う理論やメカニズムを追求できるはずがなかったのです。
ここまで述べればわかるかもしれませんが、この話のポイントはまさに【メカニズムはわからないけど、⑤の治療によって患者が良くなったという事実が判明した】というところにあります。
そして、この出来事の何百年後という時間差を通じてから現在のように壊血病はビタミンCの欠乏であるといったメカニズムが判明しました。
(補足するとリンド自身は内気で自らの研究結果を発表することもなければ、宣伝もしなかったことなども影響し、現地のイギリス人がレモン・セラピーを採用したのはリンドのこうした試験実施から半世紀後という大幅なラグが生じてしまいました。)
今回は趣旨が違うため具体的なことや実践的な部分は述べませんが、ものすごく簡略化するとこうした臨床試験の質を決めるのは最低限2つのポイントを押さえておく必要があります。
その1つが、慎重な比較対象が行なわれているかどうか。
もう1つは平均すれば同じような条件の患者を含めているかということです。
2つめはランダム化と呼ばれ、今日でも治療法を試す最も信頼出来る方法として以前も紹介したことのあるランダム化比較試験が実施されています。
ランダム化比較試験についてはまた別の機会に書けたらと思いますが、くどいようですがもう一度振り返るべきことがあります。
もし上記のような時代でビタミンの存在を知りようもない状況で、壊血病は怠け者がかかる病気であるといった考えが通用している世界の中でメカニズムだけを追いかけていたらどうなるでしょうか。
それは解決に向かわず医学が発展しないのに加え死人が増え続けることを意味してしまいます。
これが理論やメカニズムだけで考える際に陥る最大のデメリットになります。
メカニズムだけを重視することで陥るありがちな歴史例としては、治療効果は確認できているという現実があるにも関わらずメカニズムを説明できないから取り入れない。
反対にメカニズムで説明できる(説明できている気がする)けど、実際には治療ではなく毒になっていることが現実で確認されているものを提供するor治療の効果がないまま提供するといったことがあります。
それは日本で蔓延した病気【脚気】です。
次に日本での脚気の歴史についてほんの少しだけご紹介します。
4.日本版「論より証拠」VS「証拠より論」
脚気はビタミンB1不足によるものですが、ビタミンという概念が存在しない当時では当然ながら原因がわかりませんでした。
そして、脚気は西欧諸国には認められず日本独自で流行した病気のため、脚気に対しては日本人が自らの研究をもとにしてその予防及び治療を発見することが求められました。
当時は西洋の医者達の間では脚気は伝染病ではないかとも考えられていました。
そしてそんな仮説のもと様々な治療を行うも無駄に終わり、この病気により大勢の命が奪われました。
大阪陸軍病院長の堀内利国はその出来事をちょっとした機会で知り、実際に脚気の治療に麦飯が効くかを調査しました。
その結果は見事なもので、麦飯が採用された場所はその採用された年から脚気が目に見えて減っていたことが確認されました。
また堀内利国は反対意見は多かったものの、兵食を白米から麦飯に変更することを軍議にかけ明治12年に麦飯支給を実施することに成功しました。
その成果も見事なもので、それまでは1万人ほどの軍隊に3,000人もの脚気患者が発生するのが常でしたが麦飯採用後は1万人あたり30人近くまで減少しました。
3000人から30人…つまり1%にまで減ったことを意味します。
今日から見れば脚気、いわゆるビタミンB1の欠乏による病気に対して麦飯や小豆を食べさせることは現代医学的に判断してもビタミンB1療法となり適切なものとなります。
しかし、ビタミンという存在自体が知られていない当時は
- 白米食の方が麦飯よりもずっと栄養の吸収が良いはずだ。
- 栄養学的に行って麦飯が白米食よりも優れているとする根拠は全くない。
- 脚気は伝染病であるため(間違った解釈)麦飯が薬になるわけがない。
- 当時の兵隊は軍隊に入れば白米が食べれること(当時では贅沢品)を楽しみで軍隊に入るものも多いのにその白米を奪うのは非道だ。
といった反発が多くありました。
そうなのです。
こうしたメカニズム VS 現代でいうEBM といった形の奮闘を記した書籍で板倉聖宣氏の「模倣の時代 上・下」といった本があるのでご興味があれば読んでみると面白いと思います。
ちなみにこれを読むとかの有名な森林太郎(森鴎外)がメカニズム論者、いわゆる演繹法を重視し帰納法的アプローチを軽視していたことがわかります。
そしてメカニズムを重視しすぎたが故に犯したあやまちを歴史的教訓として知ることができます。
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5.少し注意が必要?日本でのエビデンス事情。
最後に少しだけ日本でのエビデンス事情について少し書いていきます。
大学医学部の基礎医学研究も要素還元とメカニズムの判明を目的としたものが多く、諸外国と比べ数量的な研究そのものが圧倒的に少ないといった現状が指摘されています。
日本は医学の教科書に限らず様々な分野の本が自国語で学ぶことのできる非常に恵まれた国ではありますが、医学のEBMの観点から言えばそれが仇となっている面は否定できません。
勿論日本の医療系のガイドラインを作成する際はそうした海外のガイドラインやEBMを参照するので良いのですが、現場で働く医療従事者によってはいまひとつ浸透していないといった状況もあります。
そのため、国際的なEBM基準と合致した論文がアメリカや欧州と比べて少ないといった指摘もあります。
そうした背景もあるため、もし一定程度のエビデンスを追求するには英語での論文検索が必須になります。
日本語論文だけを利用するのか英語論文も取り入れるのかは人にもよると思います。
しかし、少なくとも現状では日本語検索と英語検索で引っかかる論文の質の差(日本語で読める論文での観察研究の乏しさ)は結構な開きがあることの指摘やまた世界各国の論文は英語で発表されるため情報量も必然的に圧倒的に差が出てくることを考慮すると、
お気付きの方もいるかもしれませんが
私がブログで比較的英語論文や英語の文献から多くとってきているのはこうした事情もあります。
私は控えめに言っても色んな意味で頭脳明晰ではない、、、(笑)
そのため苦労はしますが、欲しい情報の中には英語でしか存在しないものも多いので足りない頭をフル回転させて英語論文を読んでいます(泣)
それはさて置き、最後に補足すると論より証拠である観察研究による科学的根拠は非常に重要なのですが万能ではなく弱点もあります。
ランダム化比較試験(RCT)の実施はそもそも手間がかかるのに加え、費用も1つあたり数千万円〜数億とかなりのコストがかかると言われています。
そしてRCTの実施にはある程度行いやすい条件が存在するのですがそれは
- 比較的単純な介入
- 他の要因の影響が少ない
- アウトカムが明確で測定可能
- 短期効果を実証する場合
などです。
しかし現実問題、これら条件を満たす医療・ケア技術はそれほど多くありません。
例えば私の領域であるリハビリにおいては測定しにくい長期的なアウトカムも重要になるため全てをこうした科学的根拠のみで解決することは非常に難しい面もあります。
そのため現場では系統的でない臨床経験などにも頼り、演繹的推論によるリハビリの介入や考え方も必要になってきます。
要はバランスの問題になります。
極端にどちらか一様だけに偏りすぎることなく、帰納的推論も演繹的推論も両方共取り入れていくことが必要であると思います。
その上でEBMで優先されるのは帰納的推論から導かれる結論であることを知っておくことが最低限誤った結論を導かないために必要かなと現時点で私は考えています。
そのためシステマティック・レビューなどで大まかな方向性を見誤らないようにしつつ、それらをしっかり踏まえた上で現場では演繹的にも推論を立てリハビリをできたらなと思っています。
ちなみに言うと私の学校がそうだっただけなのかは知りませんが私の保有資格である作業療法士も医療従事者ではありますが、実はこれら医学のエビデンスについての中身は授業でも全然触れられませんでした。
私はたまたま独学で勉強して知りましたが、医学に関わらず経済学でもそうですが、社会人になってから不器用ながらに勉強してからというものの統計学という学問の重要性の高さには正直ものすごく驚かされました。
統計によるデータ分析のイメージは
- 頭でっかち
- 現実を見ていない
- 机上の空論
- 現実離れしている
といった良くない印象を持つ方もいるかもしれません。
しかし私が統計学に少し触れた印象としては、むしろ人にはどうしてもバイアス(認知的な思い込みや歪み)があるので統計的データの方がより現実を反映しているといっても過言ではありません。
正直なところこのエビデンスについては医療に関わる職種なら関係なく必須じゃないのかなとすごく疑問に感じています。
というのも医療従事者でも時々いわゆるトンデモ系の方に傾いている人がいます。
医療従事者ですらトンデモに傾くならそれこそ医療に関係ない人がそちらに引き込まれてしまうのも無理はないのかもしれません。
が、そうしたトンデモ系に引き込まれない1つの方法として統計学を学ぶのは非常に有効だと思います。
何か私の感想文みたいになってきましたね(笑)
話を戻すと、エビデンスを正しい根拠なく否定する医療従事者は論外ですが、誤解を恐れずに更に補足すると最近は現場での対応はエビデンスだけでも不十分であることも指摘されています。
その辺についてはまたの機会に書いていきたいと思います。
が、しつこいようですがくれぐれも不十分であることと否定は全く別問題であるためエビデンスを印象論や感情で否定したり、その延長線上で通常医療を否定して代替医療のみを進める人などは最悪なので、皆さんもそういう人やそうしたものを推奨している本(たとえ医師が書いてあるものを含めて)などには気をつけて欲しいなと心から思います。